『燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや』

男子高校生感の抜けないって、これ若々しいって事でいいよね? 精神年齢低いって事じゃないよね? そう思っておきましょう。俺は若々しい。よしOk。

どうも、初めましての人は初めましてこんにちこんばんは。リクエステージに名前挙げられてちょっとびっくりしてます二回生のよしとです。

さてブログが回って来て、何書こっかなと思った訳で他の二回の皆のブログを見てると...やっぱアコギ部の事書いてるんですね。でも僕はアコギ部についてそんなに書けないんで別の事書きます(笑)


(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎ここから割と堅い話なんで読み飛ばし推奨(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎



皆さん、人に対する「期待」ってどんな風なものだと思いますか?

【いつどんな風に生まれて、誰に対して生まれて、最後どうなるのか。】

いきなり哲学的な事ですけど、大切な事です。

これは本の受け売りもありますが、少なくとも僕は「期待する側」と「期待される側」は対等であるべきだと思います。

何も能力的な問題ではありません。その観点から見ると、「期待される側」は「期待する側」よりも優位もしくは考えられても同等にあります。
持つ者と持たざる者って言ってもいいかも知れませんね。

そうじゃなくて、「リスク」の問題です。「期待される側」は期待に添えなければ信頼を失い、信頼を失う事は心に傷を負うことと同じで、結果的に「リスク」を負います。

じゃあ「期待する側」はどうでしょうか。さっきも書きましたが、「期待する側」は持たざる者、持たないからこそ失わず、失わないからこそ傷つかない。つまり「リスク」を負いません。

そんな「リスク」は不公平であって、「リスク」を伴わないような「期待」は決まってインフレーションを起こします。

「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。」なんて古語にあるように、ツバメやスズメのような小さな鳥にはオオトリやコウノトリみたいな大きな鳥の考えてる事は理解できません。持たざる者には持つ者の考えなんて分からないんです。

そうして身勝手な期待は積み重なり被害を生み出します。
そして、その被害者は...殆どの場合「期待される側」です。

皆さんもどちらの立場にもならないよう、気をつけて下さいね。知らぬ間に傷つけ、そして傷つけられて行き場のない蟠りを抱える事になるかも知れないんですから。

さて、ここまでで最初に話した問いかけの中で「期待」が「最後どうなるのか」と「誰に対して生まれるのか」について書きました。

正直まだ「いつどんな風に生まれるのか」について書けてませんしまだ書きたい事はありますが、これだけでもかなり説教臭くて読むのも面倒だと思うんで、中途半端ですけどこれでもう終わりにしときますね。
続きを聞きたいみたいな物好きな人がいたら聞いてください(笑)


あーもう堅苦しい内容で疲れた...いつもはこんな堅苦しい人じゃないんで一回生の方々、気軽に声かけてくださいね!

お次は入部当初から仲のいい、最近ますます仲の良くなってきた、もしかしたら前前前世から知り合いなんじゃないかと思う彼です→






ニゾン最高。おしまい。