尾上です

こんな話しを聞きました

ある仏教学者が、隣家からの貰い火で家が全焼し、蔵書も研究論文も失いました。 最初、彼は、それを被害者意識で、 「焼かれた」 と思い、相手への復讐ばかりを考えていました。 しかし、そのうちに、自分は仏教者だから、相手を許さねばならぬと考え、その家事は、自分で「焼いた」と思おうとしました。でも、無理でした。
最終的に彼が達した結論は、あれは、 「焼けた」のだといった考えです。
「焼かれた」のでもなしに
「焼いた」のでもない。ただ「焼けた」だけなのです。

普段からこういう心づかいで生きてゆきたいものです
次はミッチーで♪