帰省。全滅した父の奥歯。

どうも、ケツ粉瘤です。

 

いまはこのブログの更新締切日の23時、デッドライン鼻先スレスレの状態です。鼻が低くて鼻先に余裕があるのが幸い。

その余裕にかまけて、モンハン片手に書いております。

ケツ粉瘤は2週間前にケツ粉瘤を除去しましたが、問診票には村山智紀と書きました。

 

ケツ粉瘤ケツ粉瘤と繰り返していますが、ギターを弾く人は、これには要注意です。

というのも、長時間座位でギターを弾いているとおしりが荒れやすくなるため。

適宜姿勢を変えたり、座布団を使うなどしてなるべく臀部に圧力が掛からないように工夫した方が良いでしょう。

 

私がちょっと恥ずかしい自分の病歴を恥ずかしげもなく開けっぴろげにするのは、弱みを隠さない人は人間的に強く見える気がするからです。

ちょっと人に言うのははばかられる病歴とか犯罪歴とか、初対面の人にも言えるようになりたいものです。

例えば「初めまして。私、いま、執行猶予期間中なんですよね」👈これ、とってもフィジカル。

 

締切をすぎました。翌日の9時30分です。

自分の危機感と鼻の低さを露呈させただけでこのページを終えるのも気が引けるので、8月11日からの私の帰省のことを書こうと思います。

 

私は大阪に下宿しており、実家は京都府にあります。京都といっても京都市内ではなく、そして、京都市でなければ京都ではないというのが京都人の京都府人に対する見解ですが、私も専ら同じ考えです。

京都府というのは京都市以外は驚くほど寂れており、京都風の趣だとか雰囲気などはあまりないことがほとんどだからです。

私の実家も例外ではなく、実家から最寄り駅までは車で30分ほどかかり、自転車で片道20分ほどかかるコンビニエンスでは無いコンビニが1店舗だけあるような有様で、舞妓さんや金閣寺などの気配は皆無。

エロ本が売ってる自販機がせいぜいです。

お盆期間中、私は4日間くらい実家に帰省していたのですが、そんな田舎でも、私は実家の安心感を再認識することが出来ました。

むしろそんな田舎だからこそ、私はより郷土愛を強めたのかもしれません。

 

特に、駅の改札をぬけて階段をおり、夜空を見上げた瞬間の、帰るべきところに帰ってきたという感覚と、えもいえない郷里への愛着の実感は格別です。

この感覚が年々増していくのか、はたまた減っていくのか分かりませんが、なるべく忘れないようにしたいです。

 

月並みですが、人がふるさとに帰ってきたということを実感するのは、やはり空を見上げた瞬間なのでしょう。

大阪と比べて田舎の空はかなり広いので、月や雲も大阪のものより幾分輝いて見えるのです。

 

必ずしもみんなが同じ空の下で生きているわけではありませんが、だからこそノスタルジーやふるさとのありがたみを感じられるのかもしれないなと思うのです。

半年ぶりに会った父は虫歯を放置しすぎて奥歯4本抜いてました。母によると、ポップコーン食べてる時に奥歯が折れて異常に気づいたようです。遅い。

子供は父の背中を見て育つと言いますが、私は父の入れ歯を見て歯磨きの大切さを学んでいます。南無三。

 

お盆になると毎年、我が家では父方と母方両方の実家で御詠歌をあげます。

私の実家は田舎の方なのでこういった文化も残っていますが、御詠歌を上げないところもあったりするんでしょうか。

 

御詠歌をあげる時は、30分~1時間ほどかけて正座で33+αの句を読みます。

これがまたなかなかきつくて、小さなころは苦痛でしか無かったのですが、大学生になった今はなかなか面白みのあるものだと思います。

 

御詠歌でよむ歌はどれも、おおよそお寺の名前と仏のありがたさが詠まれているのですが、それらの中にも技巧派の歌があったりして、なかなか面白いのです。

 

現代の音楽と比べるといくらかBPMが低く、AメロBメロもクソもないので少々退屈に感じなくもないですが、久々に会った家族と声を合わせて歌をよむのはいいものだと思いました。

 

御詠歌を上げたことがない人がもしいれば、YouTubeで調べて見てください。

 

さて、文字数もいい具合になり、アルバトリオンの狩猟にも成功したところで、最後に最近の趣味でも書いて終わりたいと思います。

 

バスドラとか、ベース音が大きく聞こえてBPMが低めの曲に歩調を合わせて歩くことです。自分の足音がブロリーみたいになる。

おススメの曲は飛行艇、最近ハマってるのはseven nation army です。