滞納分

遅れてしまってすみません。次に指名されていたことをド忘れしていました。


一回生法学部の吉元朋子といいます。茶色の髪をしています。喋りすぎるとちょっと訛りはじめます。新入生ライブで唯一部ギターで出演しました。みなさん、覚えていらっしゃいますか。
聞く音楽についてだけチョロっと言います。
好きなアーティストと言えるほどじゃありませんが、大塚愛を小5の頃よく聞いていました。ORANGE RANGEも結構聞いてました。
あとは専ら関ジャニ∞です。フューチャーされるのはアホっぽい曲ばかりですが、カップリングやアルバムには結構いい曲がたくさんあるので、ジャニーズだからといって食わず嫌いせずに興味がある方はぜひ声をかけてくださいね。有無を言わさず家でDVD観賞会です。

あまりBOXに現れないというよろしくない評判が立っているようですが、案の定合宿にも行けず、みなさんのなかでの認識が幽霊部員と化しつつありはしないか心配なので、後期挽回できるように頑張ります。よろしくお願いします。




ところで、私は6日から一週間ほど地元に帰省していました。これから少しその話をしたいと思います。


私の地元は九州・宮崎です。ご存知でしょうか。

このご時世にテレビのチャンネルは二つ、九州一周新幹線は手前の鹿児島で止まり、県で一番栄えている町の駅にさえ自動改札機がなく、手動で駅員さんが切符を切る、など、異文化ーーむしろ未開拓の地と言っていいほどの後進県です。


私は中・高時代、宮崎は生きるのにあまりにも不便すぎる、早くこの地を出たいと思っていました。
私は関ジャニ∞が好きなのですが、雑誌の入荷は正規日の一週間後、コンサート"遠征代"だけであと8回はコンサートに行けるような出費、新レギュラーが決まってぬか喜び→宮崎では映らない、を何回繰り返したことでしょう。宮崎はアイドルを追いかけるのには不十分すぎるということが、私の宮崎への憎悪に追い討ちをかけていました。ちなみに、よくテレビで見かける「※一部地域では放送されません」はほぼ宮崎のことです。

宮崎を不便だと思っていたのは周りの友達も一緒だったようです。高校時代の昼食はよく宮崎の悪口で盛り上がりました。「早く出てやろうぜ、こんな雑草の生い茂った野みたいなところにあと一年もいてたまるか」と鼓舞しあい、お互いに受験勉強の糧にしていました。

晴れて大学に合格、いざ大阪、もちろん宮崎に未練など1ミリもありません。出発の日、飛行機のなかで遠くなる故郷の街を見て、ただただニヤニヤしながらこれから始まる新しい生活に思いを馳せるばかりでした。


大阪は住みやすくていい街でした。私が憧れたままのところ。ホームシックになるはずもなく、二度と戻るか、という思いがいっそう強くなるのみでした。


そして迎えた先週一週間の帰省。


青い海、美味しい食べ物、カラッとした気持ちいい太陽が照ること、長い夏。私が今まで気にしていなかった、美しい街がそこにはありました。
学校や塾、家、通学路、堤防、数ヵ月前まで私の近くにあった何もかもが、数ヵ月前の何倍もキラキラして見えました。
毎日自転車で越えるのがあんなに嫌だった橋から見える夕焼けは、見慣れたもののようで見たことのないような色をしていました。
5ヶ月ぶりに食べたお母さんの作る料理は、優しさと安心が混じった、けれど私が家で作るものとちょっぴり似たような味がしました。

たぶんそれらは、私が大阪へ飛ぶ前からずっと変わらずそうだったのだろうなと思います。私が気にしていなかっただけで、でもそれは一旦そこから離れないと気付かないことでした。

この街で私は部活を頑張り、勉強を頑張り、友達と笑い、親に怒られながら大きくなったのでした。宮崎の、少しだけ温度の高いやわらかな空気に育てられたことを改めて知りました。


私は宮崎を「不便だ、早く出たい」とは思っていたけれど、「嫌い」だとは、きっと一回も思わなかったのだろうな、今地元時代を思い返しても、なんだかんだ楽しくてたまらなかったことしか覚えていないのが証拠です。


18年間育ってきたわたしの街は、何もないけど案外いいところだったな。




しかし、どれだけ持ち上げようが不便な街には変わりないので、やっぱりあっちには戻りません。ごめん宮崎✋ 以上、帰省の感想です。



正直前のみゆちゃんのブログの長さにビビりまくって全く何を書けばいいか分かりませんし、むしろ今も何を書きたいのか分かってません。恥ずかしいので見直さないで投稿します。一週間の延滞分くらいは書けてるかな。


今後の抱負を言います。
次のライブには自分のギターで出る、なくしている学情の本を見つける。
頑張ります💪💪


次は同じく法学部のまゆちゃんです。よろしくお願いします。